本当に「知っている」と言えるのか? [素朴な疑問]
人や物について「知っている?」と聞かれて、どう答えるか?
どの程度を「知っている」と指すかによって、その答えは変わりそうだ。
存在を"知っている”程度で良いのか、詳しく”知っている”なのか。
失礼ながら、底の浅い人は、前者のレベルで「知っている」と言いやすい。
思慮分別のある人は、「お名前だけは存じています」など、知識が不鮮明な
場合には、その答え方も控えめである。
本当に自信がある場合を除いて、あるいは、名前を聞いたことがある程度の
相手の「知っている?」の問いで無ければ、得意がって「知っている」と
答えるのは恥をかくもとのように思えるが、どうだろうか?
どの程度を「知っている」と指すかによって、その答えは変わりそうだ。
存在を"知っている”程度で良いのか、詳しく”知っている”なのか。
失礼ながら、底の浅い人は、前者のレベルで「知っている」と言いやすい。
思慮分別のある人は、「お名前だけは存じています」など、知識が不鮮明な
場合には、その答え方も控えめである。
本当に自信がある場合を除いて、あるいは、名前を聞いたことがある程度の
相手の「知っている?」の問いで無ければ、得意がって「知っている」と
答えるのは恥をかくもとのように思えるが、どうだろうか?
批判と誹謗中傷・・・。 [独り言]
批判というものも、余りにも容赦なくその欠点や非をあげつらうと、見て、聞いて
愉快なものではないが、誹謗中傷は不愉快になる。悪口のための悪口としか思えない。
批判には、断絶すべき悪を声高に叫んだり、改善を要求する前向きな姿勢が見えるが、
誹謗中傷はただ、傷つけるものでしかない。この境界線の曖昧な行為は、似て非なる
ものではないか。
愉快なものではないが、誹謗中傷は不愉快になる。悪口のための悪口としか思えない。
批判には、断絶すべき悪を声高に叫んだり、改善を要求する前向きな姿勢が見えるが、
誹謗中傷はただ、傷つけるものでしかない。この境界線の曖昧な行為は、似て非なる
ものではないか。






