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呂乂・・・諸葛亮を後方で支えた陰の名政治家 [三国志]

南陽出身。字は季陽。呂常の子、父の呂常が劉焉を益州に送ったが道が封鎖されたため、
呂乂の元へ帰ることができなくなった。まだ幼い呂乂だったが、音楽や読書に精通していた。

劉備は入蜀後、塩と鉄の専売による利益を計り塩府校尉を設置したが、塩府校尉の王連は
呂乂を杜祺、劉幹と共に招聘し典曹都尉に任じた。その後、呂乂は綿竹、新都の県令を経て、
巴西太守、漢中太守、広漢太守、蜀郡太守を務めた。

後方にあって物資や人員の補給に務め諸葛亮の北伐の後方任務を遂行し、また、任地の行政も
善政と呼べるものであったため地方の官民からの評判が良く、それぞれから厚い信頼を
受けていた。

後に中央に行き尚書となり、246年に死去した董允の後を受けて尚書令に任命された。
仕事はきびきびこなし、性格は清廉で謙虚であり、質素で倹約家でもあったが、法に厳格で
あったため、法万能の俗吏を好んで任用し、以前ほど支持されなくなった

法を重んじた点、質素な性格は諸葛亮に高く評価されたのではないか。地方在任時に評価
高く、中央では評価が下がった理由を以下のように考える。すなわち、地方時代は全て
自ら対応出来たことを中央では人に委任する必要が生じ、委任した人間が彼ほどは有能では
なく、その評価に足を引っ張られたのではないかと。
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