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関羽の北進 [三国志]

劉備の勢力で最も勢いがあった時期は、関羽が襄陽を奪取したときだと考える。

その時点で劉備は漢中を含めた益州と荊州の南部及び上庸を領有して勢力版図は最大。
懸念点は、上庸は土地を取ったばかりで掌握しきれておらず、漢中も奪ったばかりで
いつ魏が奪還に来るか予断を許さない状況。そして、劉備の有力な家臣の多くが益州に
いて、荊州の人材は手薄な状態。

更に重大な点は、孫権の子供の縁談の話を関羽が高圧的に断ってしまい、外交関係が
揺らいでいること。

強敵を前にして、戦う態勢が整っているとはお世辞にも言えない状態。それでも関羽は
北進を急いだ。彼は自身の60を越えた年齢を気にしていた。もはや時間が無いと。

そもそもが関羽がその裁量によって広い領土を保持した経験が無かった。荊州南部の
領土も呉の呂蒙の計略に負け、一部失っている。

諸葛亮の天下三分の計。荊州はその全土の一部のみを領有し、益州を併せて、構想の
益・荊二方面から魏を攻める戦略は進みつつあった。だが、関羽が北進するとき、
陽動作戦を取るべく益州の軍事力は、まだその力が十分ではなかった。

関羽の北進。それは成功を収めるために必要な条件が余りにも欠けていた。
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