So-net無料ブログ作成

天下三分の計に対する疑問 [三国志]

諸葛亮の大いなる謀りごと。
天下三分の計。
それが三国鼎立を目的としたものであれば、成功と言えるが・・・。

天下統一を目的としたものであるとすると大きく二つの疑問がある。

一つは時間の問題、もう一つはそもそもの計略の前提の蓋然性。

一つ目の時間的問題。それは彼が三顧の礼で迎えられたときの劉備の年齢がすでに四十代
後半であること。諸葛亮は何年で天下を統一するつもりだったのか。
この時点での最大勢力者曹操が旗揚げから約20年経過して、その時点の勢力分布が
出来上がっており、それを20年以内で覆すのはなかなかの至難の業。

二つ目は、荊州と益州を領有し孫権と組んで曹操に当たり、二方面から魏を攻略するという
前提。
まず荊州がそんなに簡単に劉備のものになる可能性が有ったのか?
地元の有力者蔡瑁はしっかりと権威をふるっており、にわかに劉備のものに出来たとは
思えない。跡目争いも長男が優勢で劉備に地元人気が有っても、良くてせいぜい
内部分裂という事態がせきの山で平和裏に劉備が荊州の主になると思えない。
そして、荊州が自由競争状態になると、孫権も荊州に虎視眈々であり、荊州を領有して
孫権との同盟を両立させるのは困難。事実その通りだった。

天下三分の計は、その状況にあってはベストソリューションだったかもしれないが、
穴の無い計画ではなかったというのが私なりの結論。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

ブログを作る(無料) powered by So-netブログ